社長の部屋

リノカをはじめた理由。

クルマとヒトの関係について考える。

『Renoca』(リノカ)というプロジェクトをはじめたのは2017年のことでした。
名前の由来は、リノベーション+カー。
「いいクルマを自分らしくデザインして長く乗る」をテーマに、クルマとヒトのあたらしい関係を提案しています。
リノカはある種、今日のクルマをとりまく世情へのアンチテーゼだと言えるかもしれません。

流行に合わせて乗り換えたり、それを促進させようというメーカーのデザイン戦略は、1900年代初頭にフォード社からスタートした大量生産・大量消費の構造をGM社がさらに加速させたところまで遡ることができます。
もちろん、この100年以上にわたる消費と生産のあいだがらに問題があると言いたいわけではありません。この次から次へとあたらしい意匠を生み出すことで、人々の人生に対する活力を鼓舞しようというチャレンジは、のちに美術館に展示されるような数々の素晴らしいカーデザインを生み出すきっかけともなりました。
もちろん、時代は今もその物語をつむぎつづけているとも言えますが、すべての人がそのような暮らしのありかたを嗜好しているわけではありません。
いつの時代にも、ひとつのフライパンを使い続けるように、一台のクルマをずっと乗りつづけたいと願う人はいるものだと思うのです。

そういった考え方に対抗する感覚があるとすれば、それはたとえば次のようなものだと思います。つまり、自分の方が高級車に乗ってるぞ、みたいな優越感をあおるグレード戦略的発想や、自分がどれぐらいお金を持っているかの表現手法としてクルマに乗る感覚、いわゆる「ステータス・シンボル」としてクルマを捉える価値意識です。
こういった発想はなにもクルマに限ったことではありませんが、20世紀の産業革命以来、もっとも世界中の人々に膾炙しているのはクルマのそれでしょう。
資本主義社会において、必然的な結果だとも思います。
なにより、私たちフレックス自身、そういった価値意識を利用して、たくさんのクルマを販売しているわけです。

ただ、そういった今までの仕事のかたわらで、そのうずまきから逃がれようというプロジェクトが、このリノカなのだと思います。
高そうとか安そうとかじゃなくて、もっとシンプルにクルマを愛したい。
自分だけの一台であれば、どんなクルマとも比べようがないからそれは可能です。
この「自分だけの一台」についてかんがるときに、フレックスのユーザーさんからたまたま聞いたあるエピソードを思い出します。
その方は長らく乗っていたワゴン車から新しく四駆車に乗り換えたところでした。
ワゴン車は、家族で出かけるときはもちろん、仕事でも使用していたので、走行距離も随分いっていたので、一念発起して最新の四駆車を購入したのでした。
お子さんたちをびっくりさせるべく、内緒でお父さんは新車に乗って帰ります。
じゃじゃーん!
目を点にしているこどもたち。
大喜びするかと思いきや、第一声は意外なものでした。
「デリカは?」
もう下取りしたあとだったのでそのことを伝えると、悲しそうに「もう会えないの?」と聞いてきたそうです。
家族で長らく乗っていた、とても快適とは言えないオンボロ車が家からいなくなったとき、同じような思いをしたことがある人は少なくないのではないのでしょうか? 

こどもの心は、真理をついています。
大人はさまざまなクルマと比べて自分のクルマを見ているかもしれませんが、子どもにとってはそうじゃありません。世界でたったひとつの自分たち家族の一員として、クルマと接しているわけです。
この話は、リノカが目指している「たった一台」をまさに表現しているように思います。
自分だけの一台を実現するためのひながたとしてのデザインを、ランクル・ハイエースをベースに用意しています。
大切なのは、ずっと愛せるデザインであること。
時代を越えて愛することができる普遍的なデザイン。その象徴としてリノカのフェイスキットがあります。
つねにあたらしいものでなければいけない、という企業の経済活動を前提においたデザインの会議体につぶされなければ、こういうクルマの未来もあったのではないか、というのがリノカのデザインコンセプトだったりします。
そういう意味においてリノカがとるスタンスは、時代を逆行しようという懐古趣味では決してありません。むしろ、プログレッシブなマインドそのものです。
リノカの根本にあるのは、クルマへの愛です。
もっとクルマを好きになりたい。もっとたくさんのヒトにクルマへの愛を深めてもらいたい。
20万キロ乗ったからもう乗り換えないと、じゃなくて、20万キロ乗ったことを祝うようなことがあってもいいんじゃないか?
そんな思いのもと、私たちはリノカをはじめました。

そういった、今までとはちょっと違ったクルマとの付き合い方を通して、暮らしのあり方を捉えなおそうという試みがリノカというわけです。

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